「いじめ」をテーマにした漫画の中で、異彩を放つ中村なん先生の『いじめるヤバイ奴』。
本作は、いじめられている女の子といじめている男の子、両方の視点から「いじめ」の凄惨さ、辛さを描いている。
ユニークさもある本作だが、中村先生、担当編集は「いじめを考えるきっかけにしてもらうために工夫しています」と真面目に語ってくれました。
今回は、作品ではなく中村なん先生ご自身に迫り、デビュー当時のお話から少し気が早いのですが、次回作への意気込みまでお話しいただきました。
会社を辞めて、深く考える時間ができた
――中村なん先生は女性なんじゃないかと思っていたので、男性だったことに驚きました。
中村なん先生:
ペンネームからでは区別つかないですよね。
でも、女性だと言われたのは初めてです。
――「なん」というペンネームにはどんな由来があるんですか?
中村なん先生:
特に面白いエピソードがあるわけではなく、連載が決まってから考えたんです。カレーのナンを食べているときに「“なん”でいいか」と。
いつも質問されるので、良いエピソードを考えておくといいかもしれませんね(笑)。
――『いじめるヤバイ奴』が初連載でデビュー作、とのことですが、どんなことがきっかけで「いじめ」をテーマにした作品にしようと考えたんでしょうか?
中村なん先生:
僕自身は、いじめられた経験はありません。
新卒で就職して「このままずっと会社勤めをするのは自分には向いていないのではないか」と考えて、会社を辞めてしばらく自由にやっていたんです。
仕事をしていた頃はリアルがとても忙しいから、何かを深く考えることなんてありませんでした。
でも、時間があるとゲームをしたり、SNSをながめたり、ニュースを見たり、小さなきっかけでも深く考えるんです。時間がたくさんあるので。
いじめに関するニュースを目にして……「これは辛い」と感じたんです。
「いじめ」について考えてもらえるきっかけになればと考えました……
――『いじめるヤバイ奴』は「いじめ」をテーマにしていますが、ところどころ「笑える」要素があるように感じていました。意識していることはあるんですか?
中村なん先生:
特に何を意識しているわけでもないのですが、確かに後で自分で読んだときに、笑ってしまうところはありますね。
この作品ではいじめられる側だけではなく、いじめる側がどういう気持ちでいじめるのかを描いてみたいとも考えています。
ただ、僕自身もいじめ部分を描いていてキツくなることはあります。
だから、とあるキャラクター、ガラっと印象が変わる奴なんですが、そのキャラについては、怖い印象のときより、可愛い印象のほうが描いていて楽しいんですよ。
重いテーマだからこそ、描く僕にも読むかたにも少し心の逃げ場が必要だと考えています。
そういった部分を笑ってくださるかたがいらっしゃるのかもしれません。
「自分の作品を創ってみたかった」
――中村先生が、漫画家になったきっかけを教えてもらえますか?
中村なん先生:
小学生の時には、よく落書きを描いていて、周りから「お前、うまいなぁ」って言ってもらえたんです。
それで、「自分は絵がうまいんだ」という自覚が生まれました。
でも、中学校に入ってからは絵を描く機会はなくて。
高校、大学と過ごし、就職活動が始まって「得意なことは?」と質問されました。
そのとき、「そういえば、自分は絵が上手いんだ」と思い出したんです。
実際、いくつかの出版系企業にエントリーしたときにクリエイティブ系の入社試験で、絵を描いたら合格していました。
だから「自分には発想力と画力があるんじゃないか?」と思えるようになって。
――それで出版系の企業に就職したんですか?
中村なん先生:
いえ、その後の面接で全部落ちました。
薄っぺらいんでしょうね。
面接でボロが出てしまうんですよ(笑)。
でも、画力と発想力には自信がついたので「自分は漫画家になれるのでは」と考えました。
いま思い返すと「楽観的だったな」とも思います。
――出版社に持ち込みをされたんですか?
中村なん先生:
就活がはじまってからですが送ってみました。でも、ダメでしたね。
「昔、上手いと言われた」程度では通用しないですよね。
――就職してからはどんな仕事をしていたんですか?
中村なん先生:
就職した会社が実写やアニメ映画事業を手掛けている会社でした。
売るためには、その作品のいいところをよく知らないといけない。そしてそれを伝えないといけませんよね。
でも、ふと「なんで他人の作品の説明をしているんだろう? 自分の作品を創ってみたい」と創作意欲が湧いてきたんです。
「そうだ、漫画家になりたかったんだ!」と思いだして、すぐ会社を辞めました。
逃げまくっていた3年間
――それから、描いては持ち込む、という活動につながるわけですね。
中村なん先生:
会社を辞めてからはじめて描いた作品をマガジンに持ち込んだことがあったんですが、サラッと返されてしまったんですよ。
もちろん、ほかの少年誌にも持ち込んだんですが、鳴かず飛ばずでした。
実は、子どもの頃から冨樫義博先生の『HUNTER×HUNTER』がすごく好きでした。
各社に持ち込んでいて、唯一「また持ってきてよ」と言ってくれた出版社さんでしばらくバトル漫画ばかりを描いていました。
冨樫先生の影響で、バトル漫画を描きたかったので願ったり叶ったりでしたね。
――講談社、「マガポケ」で描くきっかけは?
中村なん先生:
その出版社向けに「ワニの顔をしてワニの能力を持った生徒が先生と戦う」というバトル漫画を描いたんですがボツになったんです。
「マガジン」の新人漫画賞に応募したら、いまの担当編集さんが電話をくれたんですよ。
会ったみたら、直接「面白かった」と言ってもらえました。
いま思うとよくあれで出版社に送ったし、編集さんも連絡をくれたなと思います。
――そこからデビューをするんですか?
中村なん先生:
それがなかなかデビューまで行けなくて、半年間、何の進展もなく過ごしていました。
実は親には仕事を辞めたことを言ってなくて、親から時々「仕事は順調?」という電話が来てました。
その度に「めちゃくちゃ頑張っているよ」などと返していたんです。
大学まで出させてもらって、就職したのに辞めた。
しかも「漫画家になる」と言ったら怒られそうだったので、バレないように試行錯誤していました。
それが会社を辞めてから3年経ったぐらいでついにバレたんです。
「税金関係の書類が送られてきたんだけど、会社で払っているんじゃないの? どうなっているの?」、これはもう言い逃れできないなと(笑)。
――そこで、漫画家を目指していることを打ち明けた?
中村なん先生:
それが言えなかったんです。なんか怖くて。
「今、資格の勉強しているから」って嘘ついちゃったんです(笑)。
でも、仕事を辞めたことが親にバレたおかげで、何が何でもデビューしなければと本気を出すきっかけになりました。
――漫画家を目指していることを伝えたのはいつだったんですか?
中村なん先生:
新人漫画賞で入賞したときについに観念して告白しました。
それを見せれば許されるんじゃないかと思って……
ブチ切れられました。
当たり前ですよね……
「もうすぐデビューできるから」と誤魔化したんですが、半年ほど過ぎたころに「これ以上は知らないからな……」と親の強い怒りを感じて、怖くなってつい「連載が決まった」とまたウソをついちゃったんです。
――中村先生……
中村なん先生:
親からは「どうせすぐに打ち切られる」というようなことを言われました。
でも連載が決まってすらいない僕としては「現状は、打ち切られる以下の状態なんだよな……」と。
とはいえ、連載が始まらないと本当にヤバイなぁと感じて、死にものぐるいで頑張りました。
毎週のようにネームを持ち込んで。そこから5カ月で連載が本決まりになりました。
「ああ、命がつながったなぁ」と安堵したのを今でも覚えています。
僕自身はこんな感じですが『いじめるヤバイ奴』は真面目に描いています。
自分のせいでもあるんですが、そんな追い込まれた経験が作品にも生かせているんじゃないかとは思っています。
漫画は疑似体験、「青春のやり直し」もできるんじゃないか
――ちょっと気が早いかもしれませんが、今度はこういう作品を手がけよう、という構想はあるんですか。
中村なん先生:
僕は中学高校ともに男子校という灰色の思春期を過ごしていたんです。
だから舞台は絶対に共学校って決めているんですよ。
次の作品では、共学高のラブコメやバトル漫画にチャレンジしてみたいかもしれません。
男子校出身者だから、男子校の話を描いたほうがいいのかもしれませんけど、描きたいのは女子とわちゃわちゃしながらバトルする、というような内容のもの。
――最後に中村先生にとって、「漫画」を一言で言うと何になりますか?
中村なん先生:
うまく言葉にできないんですけど、1つは「救ってくれたもの」ですよね。
漫画家になれたから勘当されずに済みましたし。
あとは、「疑似体験できるもの」。
例えば、ラブコメ漫画は自分が経験できなかったことを疑似体験できる、青春をやり直させてくれますよね。
だから、次回作では共学高のラブコメやバトル漫画にチャレンジしたいのかもしれません。
『いじめるヤバイ奴』はキツくてしんどいシーンが多いので、読みはじめるのにハードルが高い作品となってしまっています。
でも、できるだけ多くの人に読んでいただきたいテーマなので、ギャグと感じられるような力の抜けた場面もところどころ取り入れています。この行く末がどうなるのか、最後までお付き合いいただけるとうれしいです。
――今日はありがとうございました。