今年で60周年の「週刊少年マガジン」の歴史を振り返る本連載。
○○年前のマガジンはどんな雑誌だったのか、どんな作品が載っていたのか……今回は、1969年のマガジンを紹介します!
表紙はニューギニアの民族
1969年9月28日号の表紙は、ニューギニアの民族のかたです。
講談社の地下にはこれまで発行された出版物が保管してあります。
「週刊少年マガジン」も創刊号から揃っているのですが、2〜4冊が一冊のハードカバーの本になっています。
今回は10月12日号と悩んで、SFや怪奇など不思議なものを特集していた9月28日号にしました!
インターネットの影響なのか、最近はすっかり都市伝説なども減ってしまいましたし……
創刊から8年、表紙はまるでカルチャー誌、科学雑誌に。
ちなみに10月12日号は『火の玉レーサー』の中身。
当時、大ヒットを記録したカーアクション映画『火の玉レーサー(Fireball 500)』に出てくる車のようです。
10月12日号もまるで科学誌の表紙みたいですね。
水木しげる先生と「週マガ」
さて、目次を見てみましょう。
1969年はちばてつや先生をはじめ、漫画界を代表する伝説級の先生ばかり!
しかも巻頭カラーは水木しげる先生の名画集!
水木しげる先生と言えば『ゲゲゲの鬼太郎』。
いまでもアニメが放送されるほどの高い人気を持つ国民的な作品ですが、実は連載されていた雑誌は「週刊少年マガジン」。
1967年に本格的に連載が開始されました。
妖怪ブームが起きたのもまさにこの頃。
アニメ放映も重なり絶頂期だった1969年に連載は終了しました。
その後、1980年代に入って『新編ゲゲゲの鬼太郎』として、また「週マガ」に戻ってきました。
特集『大妖奇境』は怪奇話が好きな水木先生が集めた世界各地の不思議な事柄を紹介しています。
巨大な怪鳥、樹木になった人間の森、氷の海にある墓場など、怖いんですがワクワクしてしまうものばかり。
さりげに広告を入れましたが、みなさんも見覚えがありそうなワードが……
ミニカーと言えば「トミカ」が有名ですが、トミカが参考にしたのが当時イギリスの会社が出していたこの「マッチボックス」なんです!
ジョン・F・ケネディも登場!
木本正次先生と旭丘光志先生の伝記漫画『LET’S GO ケネディ』。
1961年に第35代アメリカ大統領となったジョン・F・ケネディ元大統領の生い立ちを追った作品。
ケネディ元大統領は1963年に暗殺されてしまいますが、現在でも名大統領として名高い人物。その理由のひとつに言葉選びのセンスがありました。
実はケネディ氏は、I(私)をWe(私たち)に置き換えて演説を行っていました。
当時はソヴィエトと宇宙開発競争を繰り広げていた時代、ケネディ元大統領は「“We” choose go to the moon(“私たち”は月へ行く)」と演説をし、国民を巻き込んだのです。
そして、この1969年は人類が初めて月面に着陸した年でした!
そういえば、オバマ元大統領もよく「Yes, we can」と演説で語っていましたよね。
ちなみにケネディ元大統領の少年時代は、漫画にも描かれている通り、不良だったようです。
ケネディ元大統領は生まれつき身体が弱く、出自から差別を受けていた身でした。
家庭では兄と比較され続けた中で鬱屈していったそうですが、優しさと信念は決して忘れない人物だったそうです。
今号では、梶原一騎先生とちばてつや先生の伝説的なボクシング漫画『あしたのジョー』が連載中!
物語はウルフ金串とA級ライセンスをかけた戦い。
対策された両手ぶらりを封印し、打たれ強さとボクシングセンスでウルフを圧倒していくジョー。
40年以上前の漫画ですが、コマ割やテンポからまったく「古くさい」と感じさせず、「“大”名作」の風格が漂ってきました。
お笑い系読み物、『パンパカ学園』。
インターネットで検索をしてみたところ、「当時大好きだった!」と書いているブログを多々見付けました。
駄洒落が溢れる読み物と四コマで構成された見開き4ページ。
子どものとき、こういうオモシロ系の作品は大好きでしたよね!
伝説級の先生たちの初期作が集合!
さいとう先生は貸本時代から現在も漫画を描き続けている大御所のおひとり。
『無用ノ介』はさいとう先生が貸本から漫画誌に活躍の場を移してから描いた2本目の漫画でした。
隻眼の浪人、無用ノ介が必死に生きようとする姿を描き、後にテレビドラマにもなりました。
永井豪先生の『キッカイくん』。
当時、永井先生はまだデビューしたばかりでしたが、これまでほかの先生たちが描かなかったギャグ漫画を繰りだしすぐに人気漫画家に仲間入りしました。
本作もギャグ漫画でありながら、救いのないオチ、エロ要素も含んだ永井ワールド全開で、当時の子どもたちには斬新で面白いものとして人気だったそうです。
永井先生は『キッカイくん』のほか、『豪ちゃんのハーレーざんこく笑(ショウ)』という読み物も書いていました。
この回は、痴漢を撃退した話とひたすら編集長を罵倒するという危険な香りがする内容。『パンパカ学園」と同じく、子どものときってこういう話には心惹かれちゃいましたよね。
他にもこんな伝説級の人物が。
読み物コーナーには当時の人気映画を紹介するページがあったのですが……
読んでいて「なんか”聞いたことがある”語り口だな……」と思っていたら。
あの映画評論家、淀川長治さんが書いていました。
「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!」
32年間、日曜洋画劇場で解説を務め、1998年に亡くなる前日まで収録をしていたほど映画と仕事に生涯をかけていた偉人のおひとり。
「すごいですね、こわいですね」と独特な語り口は文章でも顕在でした。
伝説は続く……
前回リメイク版を紹介しましたが、今号では梶原一騎先生と川崎のぼる先生のオリジナル『巨人の星』が掲載されていました。
読売ジャイアンツに飛雄馬が入団し、自身の悲願を達成した星一徹。
しかし、中日ドラゴンズのコーチとなり飛雄馬、巨人軍に立ちはだかる。
なぜなのか……
ランニングのコースが工事中で、仕方なく近道を選んだ飛雄馬を殴りつけ「なぜ遠回りをしなかったんだ!」と叱り飛ばす一徹。
悲願を達成してもなお、飛雄馬の前に立ちはだかり成長を促す。
強い信念を感じさせられました。
影丸譲也先生がトヨタ自動車の創業者を描いた『トヨタ喜一郎』。
戦前、トヨタ自動車を取り巻く環境、その中で豊田社長がとった決断。そして社員たちの汗と涙が込められた名作。
エンジンを組み上げ、自転車に取り付けて工場の敷地内で試運転する社員たち。
この涙が現在のトヨタ自動車に繋がっていると思うと感慨深いものがあります。
このほかにも石ノ森章太郎先生のSF漫画やタイムマシン特集など、1969年9月28日号は笑いあり涙あり、空想、オカルトあり、パラパラでもじっくりでも好きなように読める少年向けカルチャー誌のような雑誌でした。
ちなみに当時の読者アンケートはこのような感じだったようです。
約250ページ、定価は70円。
最新の「マガジン」(2019年43号)は457ページ、定価300円です!
次回は、淀川さん、タイムマシンと来たら……やっぱり『バックトゥザフューチャー』でしょう! ということで、1985年です!