「毎日がもうちょっと楽しくならないかな?」
漫画にそのヒントがあるかもしれない!
2020を目指す漫画好きパラアスリートが漫画から毎日を「ちょっとだけ楽しくする」ヒントを解説。
第一回は、金城宗幸先生、ノ村優介先生の『ブルーロック』!
「世界一のエゴイスト、出てこいや!」
世界一のフォワードを創り、サッカー日本代表のW杯優勝を目指すための高校生育成寮「青い監獄(ブルーロック )」で奮闘する原石たちを描いた異色のサッカー漫画。
本作には、多くのヒントが隠されているんです。
その選択は正しいのか?
人生って毎日、選択や決断の連続ですよね。
朝起きてまず歯を磨こうか顔を洗おうか、朝ごはん何にしようか。
どんな音楽聴きながら出かける?
スーツの色は? ネクタイは?
「転職しようか、それともこの会社で頑張るか」、「あの子に告白しようか」人生のターニングポイントにもなる選択もあります。
選択をするとき、悩むのは誰でも同じ。
「どっちが正解なのか」
「どっちを選べば失敗しないか」
そんな悩みを解消するヒントが『ブルーロック』にありました。
高校サッカー、県大会決勝。勝てば、全国。
ゴール前でキーパーと1対1。
自分でシュートを撃つか、フリーの味方にパスを出すか。
主人公、潔世一の選択は「パス」。
その結果、チームが負けるところから『ブルーロック』は始まります。
「もし、あの場面で、パスじゃなくシュート撃ってたら、俺は、俺の運命は変わってたのかな?」
後悔先に立たず。
どれだけ悔しかろうと、過去に戻ることなんてできません。
みなさんならどんな選択をしますか?
自分でシュートを撃ってゴールを外していたほうが、責められたかもしれないしより後悔したかもしれない。
ただ、私は「自分でシュートを撃っていた方が、運命変わってた」と思うんです。
潔の選択は「確実性」を重視したもの。
自分でシュートを撃つよりも味方にパスを出したほうが確実。
その選択は間違いではありません。
ただ、その味方が……
疲れがピークだったら?
角度的にシュートが難しかったら?
自分のパスがズレたら?
潔の選択は間違いではない。
でも、実は確実性を重視したのではなく、プレッシャーから逃げた……
「チームプレー」と言いながらも、責任を回避しただけなのかもしれません。
もし、自分が潔なら、絶対に撃つ。
自分でゴールを決める。
オイシイところを持っていく。
だって、潔ってフォワードでしょ?
ゴールを決めた後のエクスタシーを感じずにはいられないんじゃない?
外したらどうする?
いやいや、撃つ前に外すことなんて、考えないでしょ。
潔は、決勝に負けた夜、強化指定選手に選ばれ、「青い監獄(ブルーロック )」への召集令状を受け取ります。
そこは、世界一のストライカーを創る場所。
集められた300人の中から、たった1人の究極のエゴイストを誕生させる場所。
「ストライカーはエゴイストであるべき」
相手より多く点を取れば勝つ。
自分がたくさん点を取ればいい。
点を取ったヤツが一番偉いという方程式。
俺にボールを集めろ。俺が点を取ってやる。そんな存在になれるかどうか。
性格的に最悪であろうが、考え方が突飛であろうが、結果を残し、莫大なマネーと名誉を得ているのであれば、周囲のちょっとした評価なんて関係ない。
ナンバーワンだからこそ、オンリーワン。
突飛な考えなのも確かですが、最近、ビジネスの世界でも「出る杭は引っ張られる」なんて言葉もあります。
「青い監獄(ブルーロック)」の責任者である絵心(エゴ)が語る、日本人の国民性の話は非常に興味深いもの。
「日本人ってのは役割を与えられるのが好きな奴らだ。世のため、人のため、誰かのために役割を全うするのが得意な国民性だ。それが美徳だと思ってる」
つまり、誰かに自分の役割、進むべき道を決めてもらわないと生きられないのが、私たち。
皮肉な言い方をすれば、自分ではない誰かに、自分の行動の責任を取ってほしい(=自分に責任はない)という、責任逃れがデフォ(初期設定)になってる私たち。
決めればヒーロー。外せばバッシング。
そんなストライカーという存在が日本に育たないのは、当たり前といえば当たり前の話なのかもしれません。
「自分らしく生きたい」とか「みんなちがって、みんないい」って「なんかいいね」って思いますよね。
でも、実践できている人って少ない。
潔と、作中で言及されるスター選手たちとの差。
自分のエゴを出しているか、出していないか。
自分らしさなんて、自分で決めるもの、自分でしか判断できないものですし、一人ひとりの違い、いわば個性というものは尖らなければ気づかれません。
『ブルーロック』の世界観を現実世界に置き換えてみると、「全員がエゴイストになったら収拾つかなくないですか?」と言う人もいる。
これは人間とその可能性を理解していないように感じています。
「明日からみんなエゴイスト」みたいな0→100の大変化は起きませんし、エゴイストだからといって悪いことをするわけではありません。
エゴイストというのは単なるワガママではなく、自分の選択に自分で責任を持ち、自分にできうる最大限の結果を残すために努力する存在。
周囲の評価ばかり気にして、自分を出すことにビビっている限り、自分らしい幸せなんて見つけることはできません。
『ブルーロック』に出てくるいろいろな選手も、1日2日でエゴなんて出せていません。
連載を通して見ても、まだ誰もエゴを出せていません。
ただ、少しずつエゴイストになりつつある。
自転車に乗るために何度もコケて痛い思いをするように、新しい何かを掴み取るためには時間もかかれば、ネガティブな心情にも出会います。
『ブルーロック』はサッカー漫画ではない。
サッカーを通して、生きかたを見つめ直せるヒューマンドラマ。
自分のエゴを出そうともがく潔たちの戦いぶりを見て、ちょっとだけ「出る杭」になる覚悟を持ってみませんか?
WEBメディア「Plus-handicap」編集長。生まれつき両足と右手が不自由な義足ユーザー。国際スポーツ総合競技大会の正式種目であるシッティングバレー日本代表候補。