パラアスリートの佐々木です。
皆さん、恋してますか?
僕らのようなアスリートの世界では、パートナーや家族の存在が大きな支えとなります。自分のパフォーマンスを何倍、何十倍にも引き上げてくれる存在。だからこそ、相手がいることってすごく大事…
でも、自分に合った相手ってどんな人なんだろう?
この問いに恥ずかしく感じることもなく、堂々と答えられる人ってどれくらいいるんでしょう。
漫画好きなパラアスリートが、漫画から毎日を「ちょっとだけ楽しくする」ヒントを解説。真木蛍五先生の「可愛いだけじゃない式守さん」から「好みのタイプ」について独断と偏見で分析してみました。
「好みのタイプは?」と聞かれたとき、すぐに言える?
僕は昔からずっと「手のひらの上で転がしてくれるひと」と答えてきた。
それは「飼い主様とペット犬」のような感覚も近いかもしれない。
目の前にヨソ様の飼い犬が来たらすり寄りに行くわ。
子どもが来たらいたずらしに行くわ、キャンキャンしっぽは振るわ。
でも、最後には必ずリードを引っ張られて、元のご主人様のところに戻ってくる(戻ってこざるを得ない)。
とはいえ、なんだかんだ、自分には甘えてくれたり、弱いところを見せてくれたり。飼い主様がつらいときには僕のところに来ていいんだよ、みたいな。
そういう関係性が心地よい。同意が得られそうで、なかなか得られないんだけど(笑)。
式守さんは、本当に「可愛いだけじゃない」。相当なイケメン。
壁ドンされたらキュンキュンするだろうし、顎クイなんてされたらそれだけで失神しそう。絶対に守ってくれるだろうという安心感が半端ない。もう、カッコいい。
少女マンガに出てくるような「王子様」的な存在が、少年マンガに降臨してきたカンジ。これまでってこんな存在に女の子がきゃあきゃあ言ってたんだろうけど、この漫画だと男の子がきゃあきゃあ言うカンジ。
もしかしたら、異性に求める理想像は変化しているのかもしれない。
式守さんを独り占めできる、とてもうらやましい相手は和泉くん。
彼は超ド級の不幸キャラで不運キャラ。だからこそ、式守さんの保護者というより守護者としての存在がめちゃくちゃ引き立つ。
生まれつき、両足も右手も不自由な僕は似てるかも、とか思ってみたけれど、足が不自由なくらいですみませんと和泉くんに思ってしまうくらい、彼は相当なヤツ。
彼の引きはヤバい。
そりゃ、式守さんの「守ってあげたい」感は、隠しきれないほどに漂ってくる。
いいなあ、守られたい。
いいなあ、守られたい。
僕の理想の「飼い主様とペット犬」という関係性とは、似て非なる感じがするけれど、一致しているのは「最後は私が握っている」と伝わってくる、プライドというか、意地というか、気高さのようなもの。
引っ張るよりも引っ張られたい。
支えるよりも支えられたい。
という気持ちが本音の僕には、式守さんは理想的。和泉くんにはマジ嫉妬。マンガのキャラにムキにならなくていいはずなんだけど。
和泉くんは「男らしさ」や「彼氏として」にこだわっているところがあるけれど、なすがままに任せればいいんだよ、と言いたい。
ふとした時に気づいたのは、僕が欲してたのは「母性」のようなものだったということ。
悪いことをしてるのかしてないのかはともかく、なんか「許されたい」のだと思う。ああ、もう、しょうがないねって。
甘えん坊とか、イタズラ心とか、そんな幼いところに応えてくれる相手の器の広さ。
「しょうがないね」というのはしっくりくる。ああ、言われたい。
そしてこれは「認められたい」とは全然違う感覚。「褒めてほしい」とかでもない。この境目が分かりづらくて、めんどくさいんだけど、めちゃくちゃ大事。このこだわりはメンヘラのようなもの。
僕が求めているのは母性です、母性が隠しきれないくらい溢れ出てる人が好きです。
と直球で言ってしまうとアウトなことが多いけれど、どう伝えるかは別として、自分の中でひとつの言葉にできていることは大きい。
式守さんを、いいな、僕のゾーンの中に入っているなと感じられる(どれだけ上から目線なんだ 笑)のは「母性たっぷりだなあ」と判断できるから。
ちなみに好みのタイプが明確にならない人は、
・どんな相手と一緒にいると自分は楽?
・恥も体裁も考えず、理想の相手ってどんな人?
の2つの答えを限りなく出してみると、意外と「あっ!これだ!」と思いつきやすい。
ちょっと回りくどい言い方をすると「自分のいまの状況に対して、どんな相手だと自分は楽になれるか」と「自分の(腐った)性根から生まれる理想」の組み合わせが「好みのタイプ・理想のタイプ」を導くものだと考えている。
昔、ホワイトボードに「好みのタイプ」を全部書き出したことが懐かしい。
「母性を求める男」というのは、案外多いのではないかと思う。
ただ、小恥ずかしいから言えない。どう思われるか不安だから言えない。そんな感じ。
でも、その恥ずかしさや不安は、男らしさという幻影や「男は仕事、女は家事」のような古い時代からある価値観がもたらすものかもしれない。別に女々しくもないし、自分にフィットした相手像なのに、なんか言いづらい。
こんな価値観は誰が作ったものなんだろう。
日本人ならば誰でも1回は見たことがあるアニメやマンガの家族像だと「お父さんは仕事、お母さんは家事」のような世界観が描かれているし、それはいまも変わらない。
また、主人公の男性キャラは、たとえ最初がひ弱であっても、だんだんと強さを身につけていって、終わってみれば「強さ」が残るような作品も多い。
だからやっぱり言いづらい。守ってほしいだとか、母性を求めているだとか。
小さい頃から手に取っているもの、見たり読んだりしているものが、僕らの素直な気持ちを言い出せないようにしているのかもしれない。
式守さんのようなヒロインのマンガを読み続けていくと、理想の女性のタイプは「カッコいい」になるのかもしれない。
『可愛いだけじゃない式守さん』はいまの女性、男性像を上手く表現している漫画なのかも……
”いま”はまだ「恥ずかしい」と思って素直に出せない男性が多いかもしれないけれど、『可愛いだけじゃない式守さん』のような漫画が今後、「価値観を変えていく土台」になるかもしれない。
「男らしさの崩壊」とか「男が頼りなくなった」とか、性別の役割にこだわった話ではなく、式守さんのようなヒロインに男性が憧れて、それを素直に出せるようになる、そんな時代になったらいいなとか思っている。
守られたい系男子とか増えてくれると、僕の居場所も広がる。
マンガってすごい。
WEBメディア「Plus-handicap」編集長。生まれつき両足と右手が不自由な義足ユーザー。国際スポーツ総合競技大会の正式種目であるシッティングバレー日本代表候補。