『特攻の拓』、『爆音伝説カブラギ』、『[R-16]R』などの原作者である佐木飛朗斗先生。『爆音伝説カブラギ』の単行本16~19巻に収録された、佐木飛朗斗先生が送る特別人生相談企画 「楽譜の無い道」全6回をマガポケで大公開しちゃいます!
今回は、第4回をお届け! ”強い生き物“に成ろうとする少年たちを描いてきた先生が、読者の悩みに応えます!!
キミが 特攻 めッ! 悩みを 特攻 めッ!!
■「楽譜の無い道」第4回
作家・原作家である佐木飛朗斗先生のスーパー人生相談企画第4回ッ! 『特攻の拓』から『爆音伝説カブラギ』、『[R-16]R』まで。”強い生き物“に成ろうとする少年たちを描いてきた先生が、読者の皆様の悩みに真摯に応えるぜッ!!
◎イラスト/東直輝
【初出】
マガジンSPECIAL 2016年No.3
[2016年2月20日(土)発売号]掲載
学校や、周りの皆の、友達を作ろう! という感じが好きになれません。僕は今高校生で、友達はいませんが別に困っていません。漫画の中のようなイイヤツがいれば友達になりたいですが、実際にクラスメートとかと話をしてみると、嫌なところが見えて嫌いになります。でも、やっぱり友達って作った方がいいのでしょうか? 佐木先生は友達はいましたか?
リュウジンノタカ 16歳・男
佐木飛朗斗先生:
友達。私にとっては、多くの顔を思い出す言葉です。実際、小学生の頃の友達を懐かしく思う事がありますし、中学生時代から知っている親友は、今でも何年かに一度会って、一緒に杯を酌み交わしたりします。
16歳のリュウジンノタカさんは、自分の周囲よりも少し成熟が早く、人に対する洞察力が鋭いのだと感じます。
もちろん、友達は無理に作るものでは無く、また居なくても困る事は無いのかも知れません。
「人の嫌なところが見えて嫌いになる」との事ですが、人には、他者から見て嫌なところがあって当然だと私は思います。人は成長と共に社会を知り、己の言動を繕う術を身につけてゆきます。
16歳には16歳の社会(人間世界)があります。しかし、16歳では、「完璧な繕う術」を身につける事は、ほぼ不可能なのです。
私の個人的主観と概念では、完璧に人と人が解り合うという事は不可能ですし、また、人生は決して混ざりません。ただし、人は人を識る事が出来、人生の一部を互いに共有するという事は可能です。
例えば、公園で時間とエネルギーを持て余し、仲間とくだらない事で大笑いしたり、ちょっとした一言に腹を立てたりして、その後、一人になった時、「ああ、オレは無為の時間を過ごしてしまった‥‥」と感じる事があるかもしれません。でも、こんな事が出来るのは若い頃、それも10代の頃だけだと思いますよ? それこそ特権だと言って良いでしょう。
また、巨大なテーマパークで不特定多数の人々とアトラクションを共有する。これはどこか、敬虔な信仰心とも近い感覚があるのではないかと推察します。目前の事象を己が愛する友、あるいは恋人や家族と共有する事で、相互理解が深まったり、共に生きているという感覚が、より鮮明になる訳です。人とは、解り合えないからこそ解り合えると信じ、また、混ざらない人生だからこそ、共有し誰かを愛し、寄り添って生きてゆこうとする生き物なのだと感じます。
私の人生に「充足」という概念は在っても、「倖せ」という概念は存在しません。
もちろん「倖せ」という言葉を信ずる方に、それは存在するのだと思いますし、もし私が愛する者がそれを願うなら「倖せ」であって欲しいと思います。
16歳のリュウジンノタカさんが、「オレは孤独を愛する者だ。そう生きてゆく」と決心するのは、まだ早いと感じます。
大きな刻の流れの中で、多くの人が生まれ、生き、そして死んでゆきます。
「何の為に?」、それに確信を持って解答出来る者は少ないでしょう。ただ、己の生を振り返る時、多くの人々の顔を思い出せる人生は素晴らしい。
人生に於いて何を残そうとも、世を去る時に持って行く事は不可能です。
「そう悪くなかったナ‥充足だ‥」そう確信して世を去ってゆけるだけで、愉快で痛快な事です。リュウジンノタカさんも、人間世界で多くの「人」を識って欲しいと願っています。
「16歳のリュウジンノタカさんが、「オレは孤独を愛する者だ。そう生きてゆく」と決心するのは、まだ早いと感じます。」
■佐木飛朗斗 今月の 音葉 と 言楽
●『妖星伝』
※書影は「妖星伝 第1部 鬼道の巻」
半村良 著
◎講談社文庫
「妖星伝 第1部 鬼道の巻」、「妖星伝 第2部 外道の巻」、「妖星伝 第3部 神道の巻」、「妖星伝 第4部 黄道の巻」、「妖星伝 第5部 天道の巻」、「妖星伝 第6部 人道の巻」、「妖星伝 第7部 魔道の巻」
読み出したら止まらない超絶エンターテイメントSF伝奇時代劇。半村良の『妖星伝』です。ただし本作は「友情」の物語ではありません(笑)。江戸時代を舞台に、異能の一族「鬼道衆」を中心に、僧侶と弟子、そして一揆侍がそれぞれの求めるものの為に、戦いを繰り広げます。そして、命題にあるのは、「宇宙と命の起源」です。人間世界の外に生きる「鬼道衆」にも、派閥と階級が存在し、士農工商の階級時代の日本の文化と対位するかの様に描かれ、また凄まじい戦いの中に、それぞれの思想や願いが映し出されてゆきます。
美しく残酷で無情の世界に、人は何を求めて生きてゆくのか? 何の為に血みどろになって戦い続けねばならないのか? 生命は、何処から来て何処にゆこうとするのか? 艶話もふんだんでまたそれも凄まじく、それが命の起源である事を、読者は思い知らされるでしょう。そして、全編を貫く、人の美しさと醜さは、哲学的であり、寓話的であり、そして人間学と言って良い程だと確信します。第1巻の「鬼道の巻」から第6巻の「人道の巻」、そして長い時を経て刊行された完結編の「魔道の巻」まで、「血湧き肉躍るエンターテイメント」でありながら、人間と人間世界を学ぶ事の出来る「異能の傑作」を横尾忠則の素晴らしいカバーデザインと共に、是非体験してみて下さい。
●『ジギー・スターダスト』
デビッド・ボウイ
◎EMI 7243 521900 03
1969年の『スペース・オディティ』で頭角を現し始め、続く『世界を売った男』、『ハンキー・ドリー』でロックスターとしての存在を確立させた後の1972年。まさに絶頂期の一枚です。個人的には、この後発表される『アラジン・セイン』までが、特に好きな楽曲が揃っています(小学生の頃から聴いている事も原因かも知れませんが(笑))。このアルバムはボウイが「異能のロックスター」、ジギー・スターダストを「演じる」というコンセプトアルバムで、当時のライブ映像を見ても、パントマイムを学んだ彼のショーマンシップが縦横無尽に発揮されています。『スペース・オディティ』の頃から、彼の歌詞には宇宙的な要素が散見される様になり、それが「孤独」という言葉を想起させます。友愛に満ち、明晰で賢明でありながら、強烈な辛辣さとどこか戯ける様な歌詞は、世界の持つ相反性を冷笑している様にも感じさせます。が、最後の曲、『ロックンロールの自殺者』では、彼は哭いているのだと思わせる様な老成した悲しみを見出す事が出来るでしょう。21世紀の現在も現役である「伝説のロックスター」。そのデビッド・ボウイの究極の「孤独」の表現であるのかも知れません。
次回の「楽譜の無い道」もお楽しみに!