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「マガジンでファンタジーは成功しない」と言われながら大ヒット 『RAVE』『FAIRY TAIL』『EDENS ZERO』の真島ヒロ先生&担当編集タッグに『ヒットマン』瀬尾公治先生がインタビュー!【後編】

今となっては『週刊少年マガジン』の看板作品として知られている『RAVE』や『FAIRY TAIL』。しかし、こうしたバトルファンタジーは連載当初、「マガジンでは成功しない」と編集部では言われていた――。

 

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漫画編集部を舞台とする作品『ヒットマン』をマガジンで連載中の瀬尾公治先生が、名作を生み出した編集者&漫画家タッグにインタビューする企画「あのタッグに聞いてみた」。第2回のお相手は真島ヒロ先生と、初の持ち込み時からずっと真島先生の編集を担当している松木則明さん(銀杏社)です。

 

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松木則明さん(左)、真島ヒロ先生(右)

<前編>では2人が逆風の中、どのようにして『RAVE』というバトルファンタジーをマガジンで成功させたのかを語ってもらいましたが、今回の<後編>では連載でぶつかった壁を乗り越えた瞬間や「編集者」「漫画家」という存在についてうかがいました。若い頃にインターネットの批判が気になっていた真島先生を変えた、ある出会いとは……?

 

  • 「人生の絶頂であり絶望でもあった」連載初期

 

瀬尾 『RAVE』の連載が始まったときはどうでした? 僕はすごい勢いでぶち抜かれていった記憶が……。

真島 でもあのときは辛かったですね……初めて自分の実力を知りましたから。人気的な面でもそうだし、初めてプロと並んでマガジンに載ったことで画面構成の甘さを思い知らされたり。絶望しましたよ。

 

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『RAVE』1話より

 

瀬尾 本当ですか? 天才きた!って思いましたよ。

真島 いや、あのときは人生の絶頂であり絶望でもありました。これはすごい世界に来てしまったなと。

瀬尾 僕は読み切りがちょいちょい載ってたくらい。当時の担当の森田さんから「君も新人の古株だね!」とか冗談ぽく言われたけど、何も面白くないという(笑)

真島 新人が言われたくない言葉の上位ですね(笑)

瀬尾 ネーム番長だねとか(笑) とにかく真島さんの作品が載ったときはがんばらなきゃと思いましたね。

―― 松木さんは、「絶頂であり絶望でもあった」という真島さんの不安を感じ取ったりはしていたんでしょうか。

松木 たまに「このシリーズどうですかね?」とか大枠について聞かれたりしたら答えるようにしていました。「ちょっとあげていかないとね」とか。たとえば『RAVE』の魔界編はちょっと苦労したし、悩みも入っていた時期だったと思います。

 

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真島 でもそれは次の『FAIRY TAIL』に繋げられましたね。打ち合わせで魔界編で苦労した点を全部あげて、理由を自分たちで見つけて、それをどうやっていい方へもっていくかを徹底的に話し合いました。

瀬尾 松木さんからみて、真島さんが変わったなと思った瞬間はありましたか。

松木 『FAIRY TAIL』が始まったとき、プロ意識が強まった気がしました。絵のコンディション、クオリティとか。人をたくさん描くのもうまくなった。キャラたちがバラけながら各局面で戦うシーンが多いんですが、一辺にいろんな戦いを描くのは難しいんですよ。『RAVE』はそこで苦労しているときがありましたが、『FAIRY TAIL』……特に最後のバトルではうまくなっていました。頭の中で計算できるようになったんでしょうね。

瀬尾 そういうときどんな気持ちだったんですか?

松木 打ち合わせが楽になったなと(笑)

真島 ちょっと!(笑)

 

  • 昼から翌朝まで言い争った

 

瀬尾 一番聞きたかったんですけど。ケンカってありました?

真島 たぶんいくつかはあると思いますよ、あんまり覚えていないけど。

松木 ケンカはないんじゃないかな、僕が怒られるくらいで(笑)

真島 僕だって怒られたことありますよ! お互いの意見が噛み合わず、妥協案が見つからず平行線ってことはこの世界ではよくあることなので。14時から次の朝6時くらいまでずっと言い争っていたことがあります。

松木 一応、ネームをやりつつだったけどね。

真島 言い争いつつ、ネーム終わるのを待ちつつ、朝まで付き合ってもらって。

松木 その後、焼き肉ですよ(笑)

真島 そうでした(笑)

瀬尾 仲良しエピソードじゃないですか!

松木 そうですね(笑) デビュー前だけど、一緒に尾崎 豊さんの墓参りも行っちゃったしね。

真島 どうでもいいですよ、そんなの!

瀬尾 真島さんも尾崎 豊好きなんですか?

真島 僕はライトリスナーくらいだったんですけど、松木さんがめちゃくちゃ重たくて! うかつに好きだって言った僕がバカだったなという(笑)

瀬尾 話がちょっと戻りますが……僕は編集さんにムカっときたときは、怒鳴ったりはしないんですけど、急に「もう打ち合わせしたくないです」って言っちゃったりしますね。

真島 僕も打ち合わせしたくないときありますよ! ……まぁ、しますけどね!(笑)

瀬尾 編集と漫画家のケンカって何が一番大きいんですかね。

真島 やっぱり作品の方向性についてでしょうか。

瀬尾 やりたくないことをやれって言われたら、やっぱりいやですけどね。

松木 編集の言い方次第で伝わり方が違って漫画家をむかつかせちゃうことがあるだろうから、そういう相性の問題もあるんでしょうね。

瀬尾 松木さんは何かイラッとしたことありました?

松木 いや……「真島さん、今日怖いな」って思うくらいで。

一同 かわいい

真島 たぶん機嫌が悪いんじゃなくて寝不足とかそんな感じなんですよ! あー、でもメディアミックスに関する相談なんかでたまーに当たっちゃうことありますね。

松木 編集は作家の受け皿だから、それは全然言ってもらって構わないし。

真島 偉いなーと思います。作家のぐちを聞いて。

 

  • 酔拳をやり始める真島 知らぬ一面を知った北海道出張

 

瀬尾 お互いの一番深い思い出ってなんですか? 尾崎 豊ってことでいいですか?

真島 いやいやいや!(笑) 僕はデビュー前に行った北海道の出張ですかね。

松木 そのときは真島さんの『MAGICIAN』掲載と同時に、作家紹介をかねたルポ漫画を載せようって企画だったんですよ。編集部に北海道の十勝スピードウェイから12時間耐久のママチャリレースをやるから来ませんか? ってFAXが届いたんです。おもしろそうだから行きたいねと仲のいい先輩と盛り上がっていたら、当時の編集長から「遊びで行ってきていいよ」「でもただの遊びじゃなんだから誰か漫画家連れていけば?」と提案されて。そこで僕が「活きの良いのがいます!」と真島さんを推して、ママチャリレースのルポ漫画を描いてもらうことになったんです。

瀬尾 作家の紹介とママチャリレースのルポって、なんも関係ないですよね?

真島 めっちゃ関係ないですよね(笑) それまで僕にとっての編集者って松木さんくらいだったんですけど、他にも4人の編集さんと北海道へ行くことで初めて松木さんの後輩ぶりを見たんですよ。今までずっと僕の兄貴分だったのに、こんなにヘタレだったんだ! って(笑) でも余計好きになりました

瀬尾 初めての松木さんの内側を見れたという。

真島 親近感がわきましたね。

松木 あの出張中、みんなで居酒屋へ飲みに行った時に、酔っ払った真島さんがジャッキーチェンの酔拳をやり始めたんですよね(笑) 「おれ酔拳できるよ! 酔拳できるよ!」って(笑) あんなにはしゃいだのは、あれが初めてだったかな?

真島 そうかもしれないですね……今思えば説教モンですよ! すげぇやらかしてますもん! 20歳そこらの新人が何をそんなに偉そうにはしゃいでんだって話ですからね(笑)

 

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松木 あとは真島さんとはいっぱい海外に行っているんですけど、最初に行った2002年のフランスは思い出深いですね。「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」のワールドプレミア試写会で。今となっては何度もありますが、作家と担当で海外行けちゃうんだ、すげぇ景色だなと感慨深かった覚えがあります。2012年のスペイン・バルセロナでのサイン会の盛況ぶりを見たときも、「作品が大きくなるってこういうことか」って実感しましたね。

真島 スペインで日本の漫画が人気だとは知らなかったので、すごくびっくりしましたね。サインがほしいがために、前日から会場前の柵に自分を手錠でつないで列に並んでいる人とかいて。立ち退きにあっても「動かねーぞ」と(笑)

瀬尾 すごいなー(笑)

真島 その割には、サイン会が始まってファンたちがバーってなだれ込んできたとき、会場内で「僕に気付くかなぁ」とつっ立っていたら、「どけ日本人!」「マシマのサインほしんだよ!」みたいに押しのけられた記憶があります(笑) 

 

  • ネットの評価を気にしなくなった、ある声優との出会い

 

瀬尾 ツラかった時期はありました?

真島 連載して、すぐでしたかね……『RAVE』の初期の頃。人気面でもそうでしたし、仕事にも慣れていなくって結構ツラい時期でした。インターネットも黎明期でいろんなサイトが立ち上がっている頃で、作家が作品の批評を簡単に見られちゃったんですよ。今だからこそ当たり前ですが、当時はそれがすっごく気になっちゃって。作家あるあるだと思うんですけど、一人の批判が読者の総意のように思えて心理的に不安定な時期がありましたね。

瀬尾 真島さんでさえもそうなんですね。

真島 若い頃は本当に気にしていて。今じゃ叩かれ続けた結果かもう全くノーダメージなんですけど(笑)

瀬尾 乗り越えるきっかけってあったんですか?

真島 ここ数年の間で、ある若い声優さんとの出会いがあったんです。子役の頃からずっとやってきた人なんですけど、ネットの評判について「私は小学生の頃からずっと言われているよ」って言ってらして、この子すごくメンタルが強いな……こんな子がいるんなら俺も気にしないで頑張れるわ、と思ったら全然気にならなくなりましたね。

 

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松木 途中から強くなったからどうしたんだろうと思っていたんだけど、そんなことが……。

真島 素直にすごいなって感心したんですよ。自分よりも若いその子が、もっと幼い頃から世間にさらされ続けても「まったく気にしない」って言ってらしたことに。俺も気にしている場合じゃない、これで気にしていたら恥ずかしいなと。……あと松木さんもいいこと言ってくれていたんですよ。数人の批判が読者全体の批判じゃない、それ以上に応援してくれている人がいるから、ってずっと言ってくれていて。今となっては、むしろ無関心が一番怖いですね。批判してもらったほうがありがたいかな、みたいな。

瀬尾 それでは、逆に、一番楽しかった時期は?

真島 『FAIRY TAIL』の中盤ですかね。ちょうど映画化が決まって、一つの夢が叶ったのでうれしかった記憶があります。

瀬尾 松木さんはありますか?

松木 作家さんが楽しそうにしているときはこっちも楽しいです。逆に、辛そうにしているときは大変だなって思って接しています。連動していますよね。向こうが辛いのにこっちだけ楽しそうにしていたら申し訳ないでしょ(笑)

真島 ありますよ、それ! ちょっと落ち込んでいるときに松木さんがすごく楽しそうにしていることあるじゃないですか(笑)

松木 モチベーションあげようとしているの!

 

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瀬尾 漫画以外の仕事で一番うれしかったのは。

真島 やっぱりゲームのイラスト関連ですね。ゲーム好きなんで、キャラクターデザイン依頼されるとすごくうれしいです。これももう一つの夢だったので。

瀬尾 確かに、動くとうれしいですよね。

松木 あと真島さんはインタビューされる方だけでなくする方もいろいろ受けるので、いろんな人に会えておもしろいですよね。アーノルド・シュワルツェネッガーとか、ホイス・グレイシーに勝つ前の桜庭和志さんとか。

真島 小島秀夫監督のときはうれしかったですね。ただ僕が聞く側だったんですけど緊張しすぎてほとんどしゃべれなかったです(笑) しかも質問表も用意したのにバタバタしすぎて家に忘れちゃって……ただあこがれの人に緊張して何もしゃべれなかったという。

松木 ジョン・ウーもあったね。

真島 すごい助言をいただきましたね。「僕は運転したこともないし、銃も撃ったことがない。だけどかっこいいシーンは撮れるんだ」って言っていたのが印象的で。これは漫画にも通じるなぁと。

瀬尾 松木さんは会えてうれしかった人っています?

松木 ……桜庭さんですね。実はプルーのぬいぐるみをプレゼントさせていただいたら、「情熱大陸」で桜庭さん特集のとき、道場内にプルーが飾ってあるのがちゃんと映っていたんです(笑)

 

  • 驚異の2週連続3話掲載 チャンスがあるなら誰でもやるべき

 

瀬尾 看板作家として連載する上で心がけていることはありますか。

真島 いやぁ、看板というのは読者が作っていくものですので自分で看板作家だとはとてもいえないですけど。

瀬尾 責任感って伴うものなんでしょうか。

真島 そこは森川さんを見習うことが多いです。作品面で森川さんがずっと引っ張ってきたものを、次は僕だったり瀬尾さんだったり、寺嶋さんだったり央さん、流石さんもそうだし……みんなで引っ張っていかなきゃいけないものがあるので。ヘタなものは描けないなと思いますし、それでもやっぱりマガジンらしい漫画を描いていきたいなと思いますね。

瀬尾 あえて意識してやっていることは。

真島 自分が描きたいものはすごくいっぱいあるんですけど、それよりも読者が見たいと思えるものを常に描いていきたいですね。

瀬尾 森川先生も「漫画家はサービス業」っておっしゃっていましたね。

真島 それは受け継いでいると思います。

瀬尾 マガジンの伝統なんですかね。でも真島さんはとんでもない生産量じゃないですか。一挙3話掲載を2週連続はさすがに……。

真島 あれはちょっと、おかしかったですよ(笑) でもやれるチャンスがあるなら誰でもやるべきなのかなと。あれは自分から頼んで、何か月も前から準備してやったものだったんで。マガジンで目立つ最高のチャンスですし、目立ってなんぼの仕事なので。

松木 でもあらためて、真島さんと出会ったときは「来たな!」って思いましたよ。新人賞に出すときから、この作家だったら「行ける」と思って。でも、まだ自分に自信がなかったので先輩に相談したら、「お前がいいと思ったら、それでいいんだよ」と背中を押してもらって。そしたら、入選を獲れたんです。

瀬尾 もう松木さんは何年目になるんですっけ。

松木 24年目。47歳ですよ。この編集部にいる編集者としてはマガジンで一番長いかも知れない。

真島 最長老ですね。そろそろ新しい人に代えてもらってもいいですか?(笑)

一同 (笑)

松木 もう少し夢見させて!(笑) もう1、2回外国行きたい(笑)

―― 仲良し……。最後に、真島先生にとって編集者ってどんな存在でしょうか。

真島 最初の読者であり、チームメンバーです。担当がおもしろいって言ってくれたらうれしいですし、おもしろくないのなら理由がある。信用していますね。

―― 松木さんにとっては漫画家とは。

松木 編集者って所詮才能がない存在ですけど、漫画家はちゃんと夢を与えられる人。子供とかがわくわくして漫画を読むわけじゃないですか。僕らはそんな夢を与えられる立場に立っていない。喜び、夢、娯楽という人生の付加価値は、一番手に入れるのが難しいし、与えることも難しい。漫画家はそれを与えている人たちだから、すごいと思いながら共に歩んでいます。

 

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(文・構成:黒木貴啓