
今回は、「別マガ」8月号に掲載された【ショウ年マンガ】音楽家ヤマモトショウの自由研究 第12回「個性が出る出る! 地方カルチャー論」を大公開!
●別マガ異色のエッセイ連載、第12回―!
ショウ年マンガ
音楽家ヤマモトショウの自由研究
第12回「個性が出る出る! 地方カルチャー論」
■ヤマモトショウは、静岡出身―!!
僕は5年ほど前に、静岡県でfishbowlというアイドルグループを立ち上げて、プロデュースをしています。静岡は、高校生までの時期を過ごした地元で、大学進学時に上京したのですが、この5年ほどはまた静岡で過ごす時間も長くなりました。
ミュージシャンでも、成功を目指して「上京」することはよくありますが、今でも地方在住のまま活動している人もいます。そして、いくつかのエリアにはその地域特有の音楽的な文化があるようにも思います。英国でも、ロンドンだけではなく、例えばマンチェスターやリバプールなどではそれぞれに特有のビッグな音楽アーティストを輩出しています。
日本では、例えば福岡(博多)のシーンなどです。「めんたいロック」と括られてアーティストが活躍した時代もありますし、僕がデモテープをレコード会社に送るきっかけになったNUMBER GIRLというアーティストは、メジャーデビュー後も必ず「福岡市博多区からまいりましたNUMBER GIRLです」と名乗っていました。福岡時代にデビュー前の椎名林檎がNUMBER GIRLのライブを見て影響を受けていた、というような話もあります(のちによく共演するようになります)。僕がNUMBER GIRLの影響を受けていることもあって、fishbowlは県外でのライブのときは「静岡県から来ました」と名乗って、メンバーも出身市の東西順に右から左に並んで挨拶をするので、ファンの間では静岡の地理がなんとなくわかるようになってきたらしいのですが、静岡市と浜松市どっちが西にあるのか、といわれてもすぐにわからない方も多そうです。
■マンガ家の地元は、マンガからバレる!?
ミュージシャンの上京に関しては、「東京」という楽曲をつくることで昇華したり、他にも色々と語れることが多いと思いますが、マンガ家の先生はどうなんでしょうか。『まんが道』や様々な逸話で語られるように、上京して「トキワ荘」に住むというようなことがマンガ家としての成功のルートだった時代のことも興味深いのですが、やはり今もマンガ家になろうと考えた時に東京に出るのは一般的なのでしょうか。
しかし現代であれば、地方に住んだまま第一線のマンガ家として(東京に出版社がある商業誌を中心に)活動するのは不可能ではないと思います。とはいっても、皆さんがどこに住んでいるのかまではもちろんよくわかりませんので、もしかしてそうなのでは、というのをマンガの端々から読み取ってみるというのも(少々ストーカー気質な気もしますが)面白いと思います。
少し前だと、マンガ家の先生へのファンレターの送り先として自宅や仕事場の住所が公開されていたような、すごい時代がありました。そうでなくても「高額納税者」というのが公にされていたので、ミュージシャンもそうでしたが、大ヒット作がある先生はそれで居場所がわかってしまったりしたわけですよね。
本当のところはよくわかりませんが、鳥山明先生が当時、地元愛知県に住んでいて、もちろんとんでもない高額納税者だとは思うので、それが理由となって家周辺の道路がめちゃくちゃ綺麗だとかいう噂もありました。『Dr.スランプ』のある話の描写で、鳥山先生と桂正和先生が家周辺の「田舎さ」を競うというシーンがあり、強烈に覚えています。桂先生は当時どこに住んでいたのかわかりませんが(wikiで見ると千葉なのかなとは思いますが)、そんな田舎なのか?という気もします。逆にその辺りはあまり桂先生の作品には表れていないのかなとも思います。というか、そんなシーンが漫画の中にある意味自然に出てくること自体がすさまじいことですね。
僕は『Iʻs』をリアルタイムで読んでいたので、上京してちょうど井の頭線沿線に住んでいたときは「ここが明大前か」と感動したのも覚えています。『Iʻs』を読んでさえいれば、なんと駅の名前をアナウンスで聞くだけで感動できるようになるので、ぜひまだ読んでない方は味わってください。このくらいならネタバレとは言えないと思います。
そういえば『Dr.スランプ』の中ではニコちゃん大王が宇宙人なのに名古屋弁で喋っているのも面白いのですが、もしかして舞台であるペンギン村はいわゆる名古屋の中でももっと田舎で、どちらかというと都会である宇宙(名古屋)からやって来た存在であるということなんでしょうか。マンガでは方言をしゃべるキャラクターというのはいると思うのですが、基本的にはそれは「田舎感」「地方感」を表すための設定、記号であることが多いようには思います。
■「音」としての方言! 地元性のある楽曲たち!
音楽、特に歌詞における方言の使用も、かつてはその地域性を「標準語との差異」として表すために使われていたように思います。一番わかりやすいのは吉幾三さんの『俺ら東京さ行ぐだ』でしょうか。基本的にこの歌で描かれているのは吉幾三さんの本人の地元である青森のことですよね。この歌では、その方言が実際に使われているその地方は「東京」に対して、「こんな村いやだ」と思うような場所だ、ということが表現されています。しかし。それをまさにその地域の方言で歌うことで、ある種の矛盾が生まれていて、結局はその「地方感」は消えないし、「東京」というものもイメージとしてしか見えてないという皮肉が描かれているわけですよね。当時、その地元の村からは「そこまで田舎ではない」という批判が噴出したと聞いたことがあります。実際、かなり大袈裟に描いているとは思うのですが、そのことをこの歌詞の「方言」というのはさらに強調しているように思います。
方言が出てくる曲をもう一つ考えてみましょう。DREAMS COME TRUEの『大阪LOVER』は大阪に住む恋人との恋愛が描かれています。大阪弁が上手にならない、という表現があったり、おそらく関西の人が聞いたら不自然に感じるような言い回しがあえて使われているのも特徴的です。この曲はUSJのキャンペーンのために作られた曲ということなのですが、「大阪に行く理由」というのがこのような形で描かれているのはとても面白いと思います。
そして最近では藤井風さんの楽曲群で、ご自身の出身地である岡山弁が歌詞に使われています。これは、単に地方性を表しているというよりは、むしろより音楽的な要請によってそのようになっているというのが正しいように思います。非常にざっくりいってしまえば「聞いていて気持ちいい」感じにつくったら、それがちょうど合うのが自分の地元の方言だった、というパターンかと予想します。しかし考えてみれば当たり前ですよね。例えば我々が母国語以外で音楽を作ろうとすると、どうしても変な言い回しになったり、あるいはリズムのはまりが悪かったり、という問題が起きます。あるいは逆に、例えば海外にルーツのある楽曲に無理やり日本語の歌詞を載せようとしたときに、リズムやメロディとの相性に違和感を感じることがあります(音楽において「違和感」というのは必ずしも「悪いこと」ではないので、だからダメだというわけでは決してありません)。岡山弁に関しては、この10年くらいでお笑い芸人の千鳥さんの活躍によって岡山弁そのものが日常化してきたという背景もあるように思います。岡山弁自体を気持ちよく受け入れる下地が、我々の中にできていたのかもしれません。
fishbowlのスタッフの中でも実は静岡県在住ではなく東京に住んでいる人間もいるのですが、この数年静岡に来すぎて、ついに最近は静岡の方言が自然に出始めています。逆に僕は静岡出身ですがあまり方言は出てないとのことですが、数年前にとある楽曲でそうとは思ってなくて方言を使っていたことがありました。どんな形であれ逃れられないことなのかもしれません。
7月の担当編集
おばあちゃん家に行ったときに親が方言で喋っているの、「なんか幅見せに来てる感」があってダルいな~と幼少時は思っていました。
ぜひ周りの人にも教えてあげてください!
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